旅の歌
伊勢湾の奥、伊良湖崎にまつわって海人部が伝えた麻績王の伝承と歌のあわれとは、遙か後世になってその地に流諦している愛弟子杜国をたずねてゆく芭蕉の心を刺激しました。
更に明治になって、この地に一夏を過した若き柳田国男の心を刺激し、それが藤村に「椰子の実」の詩を作らせます。
その一方、柳田の心に最晩年の著『海上の道』に至るまでの、日本人の南方からの海上移動の跡を研究させる情熱を湧きたたせたのです。
近代になって、日本人の心の底に流れる旅の歌の伝統を、学問研究の上にも、詩人としての実感の上にも最も確かな形でつかみ取っていたのは折口信夫・釈迢空でした。
人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり。旅寝かさなるほどの かそけさ
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
なき人の今日は、七日になりぬらむ。遇ふ人も、あふ人も みな旅びと
・・・こういう歌は、すべて迢空自身の苦しい旅の中から生まれています。
自分がいましている旅を、決して自分ひとりの体験だけにとどめないで、長い長い民族生活、民族心理の過程の中でとらえることによって、一層遠い旅の思いが自分のものとなるのです。
三首の歌に共通している三句の切れめは、現実と、その背後にはろばろと連なるものの久しさと、二つの世界をつなぐ重い間あいの働きをしています。